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旧伊藤伝衛門邸
飯塚市の伊藤伝衛門邸に知人を伴って再訪した。時期的に広い各部屋にお雛様が飾られており、それなりにお客様もたくさん見えていた。これだけ多くのお雛さまどこに仕舞われているのだろう?素朴の疑問、その答えは、二軒の家に収納して飾っているお雛様は随時、入れ替えているとのこと。
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炭鉱王として知られる伊藤伝衛門 二度目の結婚で柳原白蓮と過ごした10年間、当時としては和洋折衷の近代的な豪邸だ。伝衛門は1860年幕末動乱の時代 井伊直弼、桜田門外の変の年に生まれる。家は貧しく縁戚の家に預けられ丁稚奉公などして成長 父の小規模ながら炭鉱経営を手伝いながら、父の病没後、明治42年伊藤鉱業のちの大正鉱業として事業を拡大していった。とある。
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二度目の結婚で伯爵令嬢 柳原燁子と再婚 50歳と25歳の親子ほどの年の差で政略結婚色の強いものであったようだ。伯爵令嬢として育った燁子と、たたき上げの実業家で女性関係の激しい放蕩三昧の伝衛門、夫婦仲は冷たいものであったようだ。燁子が新聞記者の宮崎龍介と恋仲になり、公開絶縁状を突然発表するに至り、両者の関係は完全に破綻したと、あります。
白蓮のために建てられた、豪邸から眺める広大な回遊式庭園も燁子にとっては虚しい眺めだったのではないだろうか。
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現在では珍しくない?年の差婚 Wikipediaには52歳と27歳とある 数え年のことだろう。

晩年、伝衛門はその後は生涯妻を迎えることなく、多くの企業の経営に奔走して戦後間もない1947年(昭和22年)88歳で天寿を全うしたそうです。
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by tetsu807-2 | 2014-03-11 16:58 |topに戻る


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